2018年9月25日火曜日

デスク席から(49「若い世代の決意」


 四日市公害の問題を、久々に取材しています。
 私が四日市公害について初めて取材したのは、1996年のことでした。ジャーナリストの大谷昭宏さんにコメンテーターをお願いしていた「おもいっきり〇(マル)ミエTV」の報道コーナーの取材。
 四日市市立博物館で、四日市公害をテーマにした企画展が開かれ、公害訴訟の原告だった野田之一さんが講演した時でした。市が主催するイベントで元原告が講師に招かれるのは初めてのことでした。
 この中で野田さんは「公害、公害と騒ぐが(国の発展を考えれば)“トタンの雨漏り”だと思って我慢せぇ、と言った政治家がいた。でも雨漏りの家に住む住民は苦しい目をしているんだ」と語りました。
 また、1972年の勝訴の際「青い空が戻るまでは、ありがとうと言えない」と語ったことに触れ「いま、ありがとうと言えるかと言うと…六分くらいかな」と 話しました。
 今回の取材では、野田さんに、いま「ありがとう」と言えるかどうか?そんなこともお聞きしました。
 野田さんは86歳になった現在も、公害の苦しみや裁判について語っています。

 また谷田輝子さんは、娘の尚子さんを喘息で亡くしました。判決が出されたのと同じ1972年。尚子さんは9歳でした。
 谷田さんはそれから40年近く公害について語ることはありませんでしたが、資料館(四日市公害と環境未来館)建設の話が持ちあがった頃から口を開きはじめたといいます。
 「しゃべらずにすむならそれの方が良いが、それでは消えていく…。尚子を犬死にさせたくない、忘れさせたくないっていう気持ちで伝えています」

 そんな気持ちを受け継ぐ人が出てきました。
 四日市市の高校1年生、新田亜依さんです。授業や自由研究で公害について勉強してきましたが、9月22日に営まれた公害犠牲者の慰霊祭で、若い世代としてメッセージを発表したのです。
 新田さんは、こう述べました。
「同じ世代の小中学生が(公害により)4人も亡くなったことを知り、衝撃を受けました。被害を受けた多くの人がいて今があることを忘れてはいけないと思います」

 慰霊祭の模様は、9月26日(水)の三重テレビニュースウィズで特集としてお伝えするほか、Yahoo!ニュース特集との共同企画「深層クローズアップ https://news.yahoo.co.jp/feature/954でも公開を予定しています

四日市市で講演する野田之一さん

谷田輝子さん


2018年9月3日月曜日

デスク席から(48)「今年もやります~15回記念 文治まつり」

2004年から毎年秋に力を入れて実施している催しがあります。
それは、落語会「文治まつり」。
文治というのは落語家の名前で、江戸時代に上方(関西地方)で活躍した初代桂文治のこと。
現在「桂」を名乗って活躍している落語家のルーツにあたる人で、当時大道芸に近かった落語を、今のような“寄席”形式で演じた最初の人と言われています。
また、彼の作った噺は本にもなり、その名は十返舎一九と並ぶほどだったとか。

その文治のお墓が三重県四日市市にあることを教えてくれたのが、桂福団治さん。
四日市市出身で関西演芸協会の会長を務めるベテランです。
特に人情噺では福団治さんの右に出る人はいないと言ってよいほどの円熟の話芸。
その福団治さんや、同じく三重出身の林家菊丸さんの提案で始まったのが、この催し。
最初は小さな会場で無料で開催したのですが、徐々に市民の方に知って頂くようになり、第8回からはゲストもお招きしています。
今年は11月3日(土・祝)午後1時から、四日市市文化会館で開催。
15回記念の今年は「上方桂三派と東西林家の競演」と銘打って、来年「桂小文枝」を襲名する桂きん枝さんと、江戸から林家正蔵さんをお招きし、ダブルゲストでお送りします。
また「襲名」に関するトークも予定しています。


私は大阪で暮らしていた大学時代、落語に魅せられました。
演者ひとりで何人もの登場人物を演じ分け、扇子と手拭いで様々なことを表現する芸。
現代社会が忘れがちな人情、季節感…そんなものもあります。
11月3日は「文化の日」。秋の一日を落語と過ごしてみてはいかがでしょうか。

詳細はHP または電話059・223・3380(平日)まで。



     

2018年8月10日金曜日

73年前の記憶を後世に

73年前の夏、何度も空襲にあった桑名市。7月に受けた2度の大きな空襲では、合わせて657人が犠牲となり、負傷者は1000人余りにのぼりました。
戦争体験をこれまで誰にも語ることができなかった、桑名市に住む伊藤すなほさん、87歳。14歳のとき空襲を体験した伊藤さんにとって、73年前の記憶は、思い出したくないほど悲惨なもので、これまで誰にも語ることはありませんでした。しかし、地元の人の後押しもあり、趣味だった絵で当時の様子を表現、去年初めて、小学生を前に体験を語りました。そして、今年、その証言を、地元の劇団が朗読劇にし、多くの人に発信されました。伊藤さんは「子や孫にも戦争の恐ろしさを伝えていき、平和の喜びを感じてほしい」と話しています。

二度と戦争をしてはならないと語る体験者の思いや、貴重な証言を後世に残そうと活動する劇団の活動の模様を、8月13日(月)三重テレビニュースウィズ(午後5時40分~、午後9時55分~)で放送します。ぜひご覧ください。

また三重テレビニュースウィズでは、8月16日(木)まで、終戦に関する特集を、連日お伝えする予定です。

2018年7月30日月曜日

デスク席から(47)「あれから18年」

2000年の7月31日も、大変暑い日でした。
この日、大阪市の太融寺では、あるジャーナリストの告別式が行われていました。遺影には、黒田清さんの顔。
黒田さんは新聞社の社会部長を務めた後、大谷昭宏さんらと黒田ジャーナルを立ち上げました。
◆黒田清さん

戦争や差別に反対する姿勢を貫いたほか、読者とのキャッチボールによるミニコミ誌「窓友新聞」を発行。“小さな全国紙”とよばれました。
私が大学生の頃、大学祭の実行委員をしていて、講師をしていただいた黒田さんと接する機会がありました。
あらかじめ著書を読んでいて、堅苦しい人かな?と想像していたのですが、お会いすると全く違っていて、おおらかで優しい方でした。

三重テレビへの入社が決まった私が手紙でそれを報告すると、黒田さんはこんなお返事をくれました。
「いろんな問題にぶつかると思うけど、しんどくても手を抜かないでやりなさい。それが君の血になるのだから」
丸っこい文字で書かれたこの手紙は、今でも大切に残しています。

黒田さんと初めてお仕事を一緒にさせてもらったのは1998年の秋。三重テレビの情報番組「おもいっきり〇(マル)ミエTV」の報道コーナーのコメンテーターとして出演いただいた時でした。
この回では「青い目の人形(アメリカから友好親善の証として送られた人形)」を取り上げたのですが、黒田さんは、1本のビデオテープを持ってきてくれたのです。
「僕が出ているテレ朝の番組でも同じテーマを取り上げたことがあるねん。参考になると思うで、良かったら見とき」と。

そして番組の放送が終わり、黒田さんの事務所にお礼を伝えなければ、と思っていた矢先に、丸っこい文字のハガキが届きました。
「番組が楽しい雰囲気で良かったです。私で良かったらいつでもよんで下さい」。先を越されました。

最後にお会いしたのは2000年の4月。大阪・吹田の万博公園で開かれた「黒田ジャーナル・窓友会」の花見でした。
黒田さんはがんと闘っていて先が長くないと知っておられたのか、初めて参加した私をいろんな人に引き合わせてくれました。新聞記者さん、盲目の落語家、市民活動をやっている人…。ありがたかったです。
黒田さんからは、ジャーナリズムはもとより、取材対象者や関係者への心配りを教わった気がします。 
  
          ◆黒田ジャーナル・窓友会のお花見2000年)

あれから18年が経ちました。厳しい局面はありましたが、精一杯やってきたつもりです。
この間、ハンセン病問題などのテーマに恵まれ、幸い賞をいただいたこともありました。私には、黒田さんがくれたご褒美のように思えてなりません。
でも気を引き締めていやっていかねばと思っています。しんどくても手を抜かずに…。

7月31日が来ると、暑い太融寺と丸っこい文字を思い出します。

2018年7月3日火曜日

デスク席から(46)「節目の年に」

入社して28年が経ちました。
ともすれば、思い上がったり、感謝の気持ちを忘れたり、怠け癖が出たりする自分に気づきます。
年に1回、そんな姿を反省させられる時があります。
それは、高校球児と出会う時。
といっても、私が直接取材する機会はほとんどないので、アナウンサーや記者が取材した映像や中継画面を通して…なのですが。
「みんなのために力を尽くす」「周囲の人の支えに応えたい」「毎日普通に野球が出来る事に感謝」…こういう事って、今の大人の社会も忘れがちな事ではないでしょうか。
そんな爽やかな球児の頑張りを、三重テレビ制作陣の奮闘とともにお伝えします!
7月12日(木)は好評に応え、高校野球三重大会の100回を振り返る「HEROES」を100分に拡大して午後7時から放送。
開幕する13日(金)には午後7時30分から「開幕スペシャル」と題して開会式、開幕試合、大会の見どころなどを紹介します。
14日からは大会の模様を生中継。3回戦と準々決勝はマルチチャンネルで同時生中継!
また準々決勝以降は夜にダイジェスト番組を放送します。
これらの放送を通して、試合の様子を伝えるとともに、選手の表情にも迫ってゆきたいと考えています。
また100回の記念すべき大会に、新たな実況アナウンサーが加わります。
若林希アナ。いま先輩アナの指導を受けて懸命に取材・練習をしていますので、あたたかい目で見守ってもらえれば嬉しいです。
なお「三重テレビニュースウィズ」でも、7月4日(水)から、シード校紹介コーナーや「100回大会企画」を予定しています。
100回大会という節目を迎え“三重テレビの高校野球”はますますパワーアップして皆さんの元にまいります。ご期待ください。

2018年6月20日水曜日

おかあちゃんはディレクター vol.25
「おかんは編成部」

 去年、報道制作部から編成部へと異動になった。しかし、完全な異動ではなく、数本の番組だけは引き続き担当するという兼務なのである。よって私が使う名刺には、「編成業務局 編成部 兼 報道制作局 報道制作部 副部長」という、やたら長い肩書きが記入されている。もちろん、すっきりさっぱり分かりやすい一段で明記することは出来ず、読みにくい二段仕様になって書かれている。
 
 編成部がメインとなった今は、ネットでのニュース配信も行っている。Yahoo!(月~金曜日)とLINE (月・水・金)で配信するのであるが、ネット社会のスピードの早さに今さらながら驚いている。ネタによっては、地域ランキングの上位に食い込むこともあるが、僅か数秒後にはまた埋もれていく。

 三重テレビでは、去年から「LINE NEWS」、そして今年1月からは「Yahoo! NEWS」の配信を始めた。ニュースを配信すると、心温まるほっこりする意見からここでは記せないような辛辣な言葉まで、様々な書き込みが目立つ。即座に反応が分かるネットニュースという土俵は、かなり貴重な場だといえる。
 しかし一方で、各国で問題となるフェイクニュースのように、真実ではないニュースが真実を伝える本当のニュースよりも拡散されてしまったりと、どのニュースサイトを信じたらいいのか不安を覚える人も少なくはないはずである。
 
 三重テレビが放送している「ニュースウィズ」では、その日に起きた事件や事故、季節ネタなどを伝えている。「視聴者が知りたい情報」というよりは、「今日、伝えなければならない真実の情報」を放送している。視聴率やPV数を伸ばしたいだけならば、「視聴者が知りたい情報、見たい話題」だけを報じることが近道なのだとは思う。しかし、現実に起きている事実とそれに関わる人々の想いを伝えることこそが、小さな町の小さなTV局のなすべきことだとも思う。それこそが、三重テレビの信用につながると考えている。

 な~んて、偉そうなことをズラズラと書き連ねる私は、かなりのカッコつけしぃで、本音は、日々、PV数に一喜一憂しているのである。前日のニュース配信のPV数がどこまで伸びたか、全国の配信局で何位につけているのか、それはそれは気にしぃな毎日だ。
 特に、月に1度のグルメ特集(「LINE NEWS」配信)で、力を入れたネタが伸び悩んだ時など、朝からガックリ肩を落としている。「数字なんて関係あるかいなっ」とは、なかなか言えない小さな私である。

 ネット配信のニュースは、ほとんどが斜め読みだと思われる。しかし、そこから伝わる故郷の情報、満員電車の中でクスっと笑え、ランチの途中でホロっと涙を流せる話題。ネット上では瞬時に消えようとも、しばらくの間は心に残る故郷の情報を何とか届けたい。時代遅れと言われようとも、ローカル局だからこそ伝えられるものがあると信じて、新たな土俵に挑んでいきたい。

「Yahoo! NEWS」月~金 12:50配信  
「LINE NEWS」月・水・金 12:04配信

2018年6月13日水曜日

小学生時代の記憶

私は、小学生時代のあらゆることを、やけに鮮明に覚えています。ハンドベースをする時のチーム決めの取り合いっこでだいたい真ん中ぐらいで選ばれていただとか、「お前あの子が好きなんやろ~」と友達をからかい続けたら大げんかになっただとか、学校からの帰り道はずっと塾をさぼる理由を考えていただとか… 小学校の取材を続けている時に、ふとそんなことを思い出し、まわりの人たちに話すと、「そうそう、私も結構覚えている」という反応が返ってきました。

そんな小学生時代に、地元の歴史や文化に触れることは、後々の愛着につながる大切な教育だと今回の取材で感じました。先月30日に放送した番組『まなび舎』では、志摩市阿児町にあった安乗小学校の閉校とそこにある伝統芸能「安乗の人形芝居」を中心に取り上げ、地元と学校の結びつきについて表現しました。地域の中心にいつもあった学校が無くなる。そのことの重大さを、地元の人たちの表情や言葉の端々から感じ取っていただけていれば幸いです。

今後は、少子高齢化の加速に伴い、ますます学校の数は減っていくことが予想されます。これからもこのテーマの取材を続け、学校の消滅という地域衰退への第一歩を踏み出してしまった地域の人たちが、そこにどのように抗っていくのかを見つめていきたいと思っています。