2019年4月1日月曜日

デスク席から(54)「新しい時代に」

いま、新元号「令和」発表のニュース枠(1149分~)の放送を終えたところです。
新しい時代が始まる2019年春、三重テレビ放送も、新しいステージに入ります。
 開局50年。これを機に新しい番組がスタートするんです。

 まず「Mieライブ」。(月曜~金曜の17時40分~)
夕方のニュースと情報系を一本化しパワーアップした番組で、三重テレビの若手精鋭アナウンサー3人がキャスターを務めます。
 観光やグルメ、社会、スポーツ、健康、市町情報などをテーマに据え、“オール三重”で取り組む企画です。
新しいスタジオや、簡単にできる料理コーナーも見どころのひとつ。
 番組では、大谷昭宏さん、田中里沙さんら三重ゆかりの方がコメンテーターを務めてくれます。


 そして、2013年から続く大型シリーズ。
これまで熊野古道、斎王、比叡山の祈り、刀…様々なテーマで取り組んできましたが、今年度は、原点に返って「お伊勢参り」。
 神宮や125社の様々な表情、式年遷宮の歴史、神宮のおまつりなどを、西川流四世家元の西川千雅さんがナビゲート。そして、野沢雅子さんがナレーターを務めてくれます。
まさに、新しい時代に観ていただきたい、感じていただきたい…そんな番組です。放送は、毎月第4土曜日の午後9時~。(再放送は翌月第1土曜)


長寿番組「ええじゃないか。」も大幅にリニューアル!
新しい出演者に、名張市出身で「みえの国観光大使」を務めるチャンカワイさんと、津市出身の女優、松島史奈さんを迎え、「ふれあいたっぷり旅」という趣向でお送りします。
今年度は4月1日(月)放送の「伊勢市」の回からスタートです。(再放送は6日の正午~)


また、4月7日(日)には、「Mieライブ選挙速報」(午後7時54分~)と題して、三重県知事選挙と三重県議会議員選挙の開票速報を3部構成で詳しくお伝えするほか、四日市公害と環境問題をテーマにしたドキュメンタリーも制作、5月に放送予定です。

 50歳の“円熟期”を迎える三重テレビの、味わい深い番組に、ご期待下さい。

2019年1月31日木曜日

デスク席から(53)「元原告が残したメッセージ」

「わかってほしいから言うとるんです。俺もあと長く生きとれやへんで(生きることはできないから)生きている間だけでもわかってもらえたらな、と」「公害が悪かったという理屈をわかってくれたらと思うから、その気持ちがあって喋ってる」

四日市公害訴訟の元原告で、晩年まで語り部活動を続けた野田之一さんの言葉です。
Yahoo!ニュース特集班と共同で取材させてもらったのが昨年の8月。
大変暑い日でしたが、しっかりと話して下さいました。
その野田さんが1月25日、気管支ぜんそくのため、87歳で逝去されました。
まさか取材から半年もたたないうちにお亡くなりになるとは…。

私が初めて野田さんを取材させてもらったのは、1996年の夏。
四日市市が主催した環境に関する催しに、初めて元原告が招かれた時でした。
この時、野田さんは「“ありがとう”と言えるのは6割くらい」と語りました。
「ありがとう」という言葉には、こんな背景があります。
実は野田さんは、1972年に四日市公害訴訟に勝訴した時、「四日市に青い空が戻った時に“ありがとう”と言いたい」と話していたのです。
1996年には「6割くらい」と話していた野田さんですが、昨年インタビューした時には、少し変わっていました。
「いま思うと、あの時(1972年)に俺は大きなことを言うたかもわからんけども、“ありがとう”と言うのは、俺が言うんじゃなくて、世間の人が“ありがとう”と思ってくれれば、それでええ。公害で一生懸命やったけど良かったなと、ひとりでも思ってくれたら、それでええ。それでもうたくさん」

野田さんが残した“遺言”ともいえるメッセージを受け止め、青い空を守っていく責任があると感じました。
ご冥福をお祈りいたします。

※三重テレビ放送とYahoo!ニュース 特集の共同企画「四日市ぜんそくを語り次ぐ人々」は、以下からご覧いただけます。
https://news.yahoo.co.jp/feature/1171

2019年1月16日水曜日

ヘルプマークを知っていますか?


2019年が始まりました。

三重テレビニュースウィズでは、様々な分野で活躍している人たちの、2019年、今年にかける思いを伺い、放送させていただきました。

その中の一人、三重県のヘルプマーク普及大使として活動している小﨑麻莉絵さん。
ヘルプマークは、外見からは分かりづらい身体の内部の病気や障がいなどを抱える人たちが、周囲に支援や配慮が必要なことを知らせるマークです。
 
小﨑さん自身も血液が正常に作られなくなる骨髄異形成症候群という病と闘っています。現在、35歳の小﨑さんは、余命5年の宣告を受け、今年の8月、その余命宣告から5年を迎えます。小﨑さんは今年を「自分の中のメドをこえる年」と位置付け、「人生の中で出会う人たちを大切に、6年目、7年目を迎えていきたい」と話します。
 
そして、ヘルプマークの普及にさらに力を入れていきたいと話す小﨑さんはヘルプマークについて、こう語ります。「このマークは、助けてもらう方と助ける方の両方の思いが優しくて初めて成立する。助けてもらって当たり前でもいけないし、助ける方も手助けが誰かの幸せに繋がっていると思って、優しい気持ちで助けてほしい」と。

三重テレビでは、小﨑さんや、ヘルプマークを身につけている県民のみなさんの協力のもと、ヘルプマーク啓発のためのCMを制作しました。

1月9日から、三重テレビの中で随時、放送しています。一人でも多くの方に、ヘルプマークを知っていただけるきっかけになれば嬉しいです。


このマークをきっかけに、思いやりや優しさにあふれた社会になりますように。

2018年12月20日木曜日

デスク席から(52)「語り継ぐ四日市公害」

「わかってほしいから伝えるんだ」「尚子を犬死にさせたくない、忘れさせたくない」…四日市公害による被害者の言葉です。

前者は、四日市公害裁判の原告の中で唯一“語り部活動”を続けている野田之一さん(87歳)、後者は、娘をぜんそくによる発作で亡くした谷田輝子さん(84歳)。高度経済成長の陰で犠牲になった人たちの思いを伝えています。

私は大阪に住んでいた幼少時代、小児ぜんそくでした。父親の転勤の関係で、小学校入学を機に三重県の伊賀に引越し、それから病気は治っています。今は苦しんだことも定かには覚えていません。

しかし、四日市地域では多くの方が長年にわたって息苦しい日々を送り、ある人は命を落とし、ある人は大切な家族をなくしました。「四日市ぜんそく」という言葉を聞くと、とても他人事とは思えないのです。私は伊賀に来て救われましたが、同じ三重県内で、しかも同世代で亡くなった人がいる…。

そんな歴史を忘れないでほしいという思いで取り組んだのが、Yahoo!ニュース 特集さんとの共同企画「深層クローズアップ」です。

動画と文章、写真で構成したもので、ハンセン病問題をテーマにした特集に続いての第二弾になります。

どうぞご覧ください。
https://news.yahoo.co.jp/feature/1171

2018年12月11日火曜日

デスク席から(51)「橋がかかって…」


「橋は人のつながりだけでなく、家族のつながりも復活させてくれました」

こう語ったのは、中尾伸治さん(84歳)。国立ハンセン病療養所・長島愛生園(岡山県瀬戸内市)で入所者の自治会長を務めています。

11月23日、都内にある国立ハンセン病資料館で「もうひとつの橋」と題したイベントが開かれました。

ハンセン病療養所がある岡山県の長島と本土の間に橋がかかって30年を迎えたことを記念した催しです。

完治する病気になってからも社会の偏見を受け、法律で1996年まで隔離が定められてきたハンセン病。

「隔離を必要としない証」として橋の建設が決定されたものの、最初は地元も歓迎ムードではなかったといいます。橋が架かったのは、1988年(昭和63年)の5月。

中尾さんは、「橋ができて世の中が明るくなったような感じがした」と話します。その一方で「後遺症からか今でも“怖い病気”と思われている。(島の外のスーパーで)買い物をしていたら後ろからモップで拭かれたことも」。

長島にあるふたつの療養所には資料館ができ、年間で1万人以上が橋を渡り見学などに訪れています。中尾さんはじめ療養所の入所者はこれまで、島の外へ講演に出向く人も少なくありませんでしたが、最近は「橋を渡って見にきて下さいと言っています」。(中尾さん)

そんな中尾さんに今年、嬉しいことがありました。橋に関する新聞報道がきっかけで、三重に住む親族との絆が戻ったのです。「1枚のはがきがとても嬉しかった」と話す中尾さん。

詳しくは、12月13日(木)の三重テレビニュースウィズ(午後5時40分~/午後9時55分~)の特集で放送します。


2018年10月29日月曜日

デスク席から(50)「ベテラン噺家の芸人魂」

桂福団治さんは10月26日、78歳の誕生日を迎えました。

四日市市出身で、関西演芸協会の会長を務めるベテラン。芸歴は60年に迫ります。手話落語の創始者、人情噺の名人としても知られます。

私は大学時代に福団治さんのファンになり、三重テレビに入社後、2004年から福団治さん、林家菊丸さんらとともに落語会「文治まつり」に携わっています。(2005年からは二乗さんもレギュラーに加わりました)



その福団治さんの特集を、10月30日(火)の三重テレビニュースウィズ(午後5時40分~/夜9時55分~)で放送します。

福団治さんにとっては激動の2018年でした。

2月に愛弟子・桂福車さんを亡くし、その10日後の2月11日、自身が会長を務める関西演芸協会の65周年イベントを成功に導きました。

この日は私も大阪に取材に行っていたのですが、気丈にいろいろ采配されていた福団治さん。

そして、演じたネタは「看板の一(ピン)」、熱演でした。

実はこの日、福団治さんは、もうひとつの大きな悲しみに包まれていたのでした…。

演目に「看板の一」を選んだ事にも、理由があったのです。

様々な事を乗り越え、円熟の芸を披露する大御所の姿に迫ります。

なお、福団治さんが主任(トリ)を務める落語会「文治まつり」は11月3日、四日市市で開催。

2018年9月25日火曜日

デスク席から(49)「若い世代の決意」


 四日市公害の問題を、久々に取材しています。
 私が四日市公害について初めて取材したのは、1996年のことでした。ジャーナリストの大谷昭宏さんにコメンテーターをお願いしていた「おもいっきり〇(マル)ミエTV」の報道コーナーの取材。
 四日市市立博物館で、四日市公害をテーマにした企画展が開かれ、公害訴訟の原告だった野田之一さんが講演した時でした。市が主催するイベントで元原告が講師に招かれるのは初めてのことでした。
 この中で野田さんは「公害、公害と騒ぐが(国の発展を考えれば)“トタンの雨漏り”だと思って我慢せぇ、と言った政治家がいた。でも雨漏りの家に住む住民は苦しい目をしているんだ」と語りました。
 また、1972年の勝訴の際「青い空が戻るまでは、ありがとうと言えない」と語ったことに触れ「いま、ありがとうと言えるかと言うと…六分くらいかな」と 話しました。
 今回の取材では、野田さんに、いま「ありがとう」と言えるかどうか?そんなこともお聞きしました。
 野田さんは86歳になった現在も、公害の苦しみや裁判について語っています。

 また谷田輝子さんは、娘の尚子さんを喘息で亡くしました。判決が出されたのと同じ1972年。尚子さんは9歳でした。
 谷田さんはそれから40年近く公害について語ることはありませんでしたが、資料館(四日市公害と環境未来館)建設の話が持ちあがった頃から口を開きはじめたといいます。
 「しゃべらずにすむならそれの方が良いが、それでは消えていく…。尚子を犬死にさせたくない、忘れさせたくないっていう気持ちで伝えています」

 そんな気持ちを受け継ぐ人が出てきました。
 四日市市の高校1年生、新田亜依さんです。授業や自由研究で公害について勉強してきましたが、9月22日に営まれた公害犠牲者の慰霊祭で、若い世代としてメッセージを発表したのです。
 新田さんは、こう述べました。
「同じ世代の小中学生が(公害により)4人も亡くなったことを知り、衝撃を受けました。被害を受けた多くの人がいて今があることを忘れてはいけないと思います」

 慰霊祭の模様は、9月26日(水)の三重テレビニュースウィズで特集としてお伝えするほか、Yahoo!ニュース特集との共同企画「深層クローズアップ https://news.yahoo.co.jp/feature/954でも公開を予定しています

四日市市で講演する野田之一さん

谷田輝子さん