2016年8月25日木曜日

デスク席から(24)「夏休みに考えてほしい事のひとつ」

 ハンセン病問題をテーマにした企画展が、津市の三重県人権センターで開かれています。
 ハンセン病自体についての説明パネルのほか、愛知県一宮市・法林寺の住職だった真野正志さんが描いた絵画が展示されています。




 真野さんは、岡山県のハンセン病療養所、長島愛生園で暮らしていた僧侶・伊奈教勝(いなきょうしょう)さん(園での名前は藤井善さん)が残した多くの言葉を絵にしました。
 例えば「らい予防法によって私たちは人間を放棄させられ、物として療養所に運びこまれたのが、病気を持つ者の私たちの当時の姿」「ハンセン病は完治する病気です」「療養所に納骨堂があるという奇異な形態は、らい(ハンセン病)だけのものである」…
 また、療養所のある島が橋で本土とつながっても、なお偏見が残っていることや、「排除の論理」によって人を不幸にすることがあってはならないとも訴えています。
 この企画展は、8月31日(水)まで、三重県人権センター(津市)1階アトリウムで開かれています。児童・生徒の皆さんの夏休みの自由研究としても、ふさわしいのではないでしょうか。

2016年8月8日月曜日

デスク席から(23)「8月に思う」

原爆や戦争、平和…そんなことを考えるシーズンです。
最近は取材に出る機会が減りましたが、若い記者の頃は、よく夏に戦争に関する取材をさせてもらいました。(本当は“季節的”な話題であってはならないのですが…)

津市で日本軍属に徴用された在日韓国人のカン・プジュンさんを取材したのは1992年から。日本名は鳳山哲雄さん。カンさんは日本人として戦争に行き米軍の機銃掃射を受けて片手の指4本を失い、片目を失明しました。しかし、サンフランシスコ講和条約で日本国籍を失ったため日本人並みの補償を受けられず、その矛盾を訴え裁判まで起こしました。結局、求めていた障害年金の支給には至りませんでした。カンさんは「日本政府にひとこと謝ってほしかった…」とつぶやきました。カンさんはこうも言います。「第二次世界大戦は終わってないんです。われわれのことをきちっとしてくれてはじめて終わるんです。」
カンさんはその後、自身にとっての“終戦”を迎えることなく亡くなりました。
また、日本で唯一地上戦が展開された沖縄県の大田昌秀知事(当時)を取材した時は、こんなことをおっしゃっていました。「戦争では、特に若い人たちが大勢亡くなってゆきました。その皆さんが生きていたら、どんな国になっていたことか…。それが最もつらいことでした」と。

一般の人たちにとっても“戦争”は終わっていないという見方も。
戦争で過酷・悲惨な体験をした人は、その記憶をかかえながら人生を歩んでいかねばならなかったでしょうし、夫や妻、子ども、父や母を亡くした人も、家族が欠けたまま戦後を歩んでいかねばなりませんでした。
戦争がなければ違う人生、違う家庭があったのかもしれません。
戦争は終わったことですが、まだ終わってない…そんなことを考える8月です。

三重テレビ放送では、8月10日(水) 11日(木) 13日(土) 14日(日) 15日(月)の「ニュースウィズ」などで、終戦に関する話題をお伝えしてゆきます。